古代ギリシア哲学(1)ソクラテス以前

そもそも、哲学とは「存在するもの一般の本質と根拠、人間の存在の意味を問い求める人間の営み」(『西洋古代・中世哲学史』5頁)のことである。哲学について、まずは一般論としてこのように定義し、古代ギリシアからの哲学の発展を見ていくことで、古代から現代までの哲学がどのように発展してきたのか理解し、一貫した歴史として頭の中に描くことができる。

哲学とは、「存在するもの一般の本質と根拠」「人間の存在」の意味を問う営みだが、それは理性によって問われる点も重要である。なぜなら、人間の存在や存在一般について問うていく営みには、宗教もあるからだ。しかし、宗教は超自然的な現象から存在するものを説明する面があり、理性から、客観的に存在を説明するものとは異なる。古代宗教と古代哲学とは非常に近しい思想を持っている場合があるが、明確に理性によって存在一般や人間存在を説明しようとしているかどうか、という点にその区別がある。

理性によって存在一般や人間存在について問うていく営みとしての哲学は、紀元前6世紀ごろのギリシア文化圏で生まれた。古代ギリシアの哲学者たちは、都市国家(ポリス)の市民たちであった。古代ギリシアは北方にマケドニア(紀元前6世紀ごろはまだ未開の国家だった?)、西方に小アジア、ペルシア?が位置し、沿岸部で発達した都市国家であった。都市国家の規模は、現在の日本の地方の県程度であったと言われている。地中海沿岸は広大な平地や、大規模な灌漑農業が可能な土地ではなかったため、古代オリエント国家のように強大な権力を持った専制国家は成立せず、強い権力を持たない王と貴族によって支配され、その下に自立的な市民が位置するような社会だった。富裕な市民は自ら戦闘用の装具を購入し、戦闘に参加し、市民としての役割を果たすことで、市民意識を高めていた。また、古代ギリシアの政治的な中心はアテネであり、ポリス間は争いつつも「われわれギリシア人」という統一感も持っていた。このような世界で、生産活動から解放された市民の中から、理性によって世界の本質を究明しようとし、まずは自然の本質、起源、構造を明らかにしようとした。

1章:ヘシオドス

古代ギリシア哲学の最初の一人として数えられるのが、ヘシオドス(紀元前700年ごろ)である。

ヘシオドスは、『神統記』を著し、神話的な説明によって世界を語ろうとした。ヘシオドスの『神統記』が哲学の誕生と言えるのは、

  •  真と偽の区別
  •  存在するものの全体を問う
  •  生成するものと滅びることなく常に存在するものの区別
  •  万物の根源(第一の存在)が、混沌の中に存在すること

といったことを理性的に説明しようとしたからである(参考:『西洋古代・中世哲学史』18頁)。「生成発展するもの」と「滅びずに常に存在するもの」という区別は、特にその後の哲学でも常に問われるテーマとなる。

また、ヘシオドスは神々を体系づけ、ゼウスという最高神を頂点に置く点に、世界を秩序立てて説明しようとする理性的な営みとして、哲学の萌芽が現れている。

2章:イオニア学派(ミトレス学派)

古代ギリシア哲学が誕生した地としてよく言及されるのが、小アジアの西海岸イオニアにある商業都市ミレトスである。現在で言うトルコのエーゲ海沿岸にある。

イオニアはギリシア文化圏であり商業の発展で裕福な都市であった。

イオニアの哲学者たちは当時の技術に通じ、自然を対象として研究していた。もちろんそれは現代的な自然科学とは異なる素朴なもので、実験ができず観察と思弁的な手法しか活用できなかった。そして、彼らは個別具体的な自然的研究・発見ではなく、自然つまり存在の本質、根源を探っていった。自然の神話的な解釈を脱する動きであ

一方、神話的・宗教的理解と哲学はまだ不可分で、自然の根源に対する解釈は神学的な理解にもつながった。

イオニアで生まれた自然哲学者たちのことを「イオニア学派」と呼び、多くの哲学史のテキストで哲学の起源であると書かれることがあるが、それはアリストテレスが『形而上学』第1巻の中で、哲学の起源をイオニア学派の活動にあると指摘したからである(参考:『物語 哲学の歴史』39頁)。

2-1:タレス

タレスはバビロニアの天文学や幾何学に通じ、日食の予測、ピラミッドの高さの影からの測定などを行ったと伝えられている、当時の一種の科学者でもあった。そしてその幾何学を技術から哲学に展開したのも実績である。

タレスは当時一流の科学者として自然を認識し、その多様な自然世界に存在する、統一的な原理、存在するもの全体に通底する原理を問おうとした。

タレスの説明は下記のようなものだ。

  • すべてのものは「水」からできている(元素)
  • 水は熱と生命が湿ったものから発生する
  • 根本的な原理は、物質でもあり生命でもあるものである
  •  物質は生命に満ちたものであるなら、それは変化する力を持っているということである

タレスの功績は、このようにはじめて世界の統一原理や「元素」的なものを理性によってとらえようとした点にある。

2-2:アナクシマンドロス

アナクシマンドロスは、タレスの自然の根底にある統一原理を追求する問いを引き継ぎつつ、原理を発展させた。アナクシマンドロスによると、

  • 火、空気、水、土という元素は対立する性質を持つため、水は根源的な原理ではなく、これらのさらに根源に未分化・無形で永遠不変の原理があるはずである(=無限定のもの)
  • この「無限定なもの」は、すべてがそこから生成されるような貯蔵庫であり、かつ変化をかじ取りする生きた原理である(参考:『西洋古代・中世哲学史』22頁)

といように、元素を4つに分け、さらにその根源に原理があることを指摘している。

また、アナクシマンドロスは自然の中に「自然法」的な秩序が存在することを下記のように指摘した。

  • 自然のあらゆる事物は、その存続の長さを規定する「時の定め」に規制されている
  • 存在する事物は、対立物との対立によって互いに不正をなしているため、時の定めに従って罰を受ける
  • しかし、存在する事物はこの不正に対して、正しい秩序を成立させる正義の規範を持っているため、世界の存在は正義を実現しているのであり、それは神的な原理によって支えられているのである

自然の成立の背景に、神的な原理に関わる秩序を指摘している点で、自然法の萌芽があったと指摘される(前掲書、23頁)。

2-3:アナクシメネス

アナクシメネス(紀元前560年頃-500年頃)も存在の根源を明らかにしようとしたが、それだけでなく自然がどのように生成されたか、多様な自然をどのような説明したらいいか、ということも追求した。

アナクシメネスはこの生成の過程と多様な自然の成立について、

  • すべての元素は空気であり、空気は濃くなったり薄くなったりすることで、さまざまな多様な物質が生まれた(濃くなると雲や水に、さらに濃くなると土や石になるし、薄くなると火になる)
  • また、空気は運動原理で生命原理でもある

このように、空気の量的な変化から、あらゆる多様な物質の生成とその過程を単純明快に説明しようとした点に、アナクシメネスの特徴がある。

2-4:ピュタゴラス

ピュタゴラスの定理で有名なピュタゴラス(紀元前570年頃-?)は、ミレトス近くのサモス島出身の哲学者である。ピュタゴラスは哲学的解釈を教説とした教団を作り、その教団がピュタゴラス派と呼ばれるようになった。ピュタゴラス自身は何も書き記していないため、彼の議論と教説は明確に区分できない。

ピュタゴラスの哲学の特徴は、世界の統一的な原理、根源的な原理を、他の哲学者たちのように「元素(原質)」から説明せず、世界の「構造(法則)」から説明しようとした点である。まず、ピュタゴラスは根源的な原理は「数」ですべてが「数字」で構成されている、そしてすべての数は「一」に基づくと考えた。そしてここから、すべての数が下記の二元論的な原理から構成されると考えた。

  • 1. 「偶数で象徴される『無限定なもの』という悪の原理」(『西洋古代中世哲学史』26頁)
  • 2. 「奇数で象徴される『限定するもの』という善の原理」(同上)

すべての根源である「一」は無限定なものから秩序づけられた世界を作り出す、その世界を「コスモス」と言う。そしてこの世界の秩序を人間は音楽によって聴きとることができると主張した。

また、ピュタゴラスの数の理論は人間論・倫理学も規定しており、人間の魂(息)は世界の神的な魂(息)の一部で宇宙と同じく不滅なものだが、世界の魂と一つになるまでは輪廻転生しなければならないと考えた。そのためピュタゴラスの倫理学は、自己訓練、自足、節制といった実践が必要という教義を形成した。

3章:エレア学派

イタリアの西岸にあったエレアでは、エレア学派と呼ばれる哲学者たちが起こった。クセノファネス、パルメニデス、ゼノン(エレア)らが重要な哲学者であり、かれらの哲学の上にヘラクレイトス、エンペドクレスらの後の哲学者の哲学が築かれた。

3-1:クセノファネス

クセノファネス(紀元前570年頃-紀元前480年頃)は、イオニアのコロフォンの哲学者で詩人でありエレア学派の創始者である。

クセノファネスは、事物の根源は「湿った土」であると考えており、それは自然の観察から導かれたものだった。

クセノファネスの哲学の意義は、神話に対して懐疑を抱き真理と仮象(現象)、確実な知と蓋然的な臆見を区別したことである。ギリシアの古い宗教の神々は卑しい行為をする人間的なもので、擬人化されたものだった。その神話の描き方の不十分さを見抜いた。

また、クセノファネスは神の存在を一神教的・汎神論的に考えた。古代の宗教を批判したのは、神は本質的に唯一、不変、永遠のものであり、道徳的に完全であると考えたからであった。神は思惟によって世界を動かしたとも考えた。このように、クセノファネスは多様な現象の背景に、唯一不変の存在を考える、という哲学の伝統の創始者でもあった。

3-2:パルメニデス

パルメニデス(紀元前515年頃-紀元前450年頃(もしくは紀元前540年頃-))はクセノファネスの弟子であり、クセノファネスの不変の存在をさらに体系化した哲学者である。

パルメニデスは真の知識は理性的認識によって獲得されるもので、理性認識によると一つの存在のみがあり得るもので、非存在はあり得ないと考えた。存在者とは空間を満たすものであり、空虚なものは非存在であるため存在しない。しかし、物質が運動するためには空虚(非存在)が前提とされるため、パルメニデスは万物は生成も運動もしない、存在は不変に持続するもののみであると考えた。人間が経験的に認識する生成発展や運動はすべて誤謬であると考えたのが、パルメニデスの哲学の特徴であった。

また、思惟は存在との関係においてのみ思惟として成立するため、非存在は思惟の本質と矛盾する。そのため非存在は認められない。

3-3:ゼノン

エレアのゼノン(紀元前500年(もしくは490年頃)-紀元前430年頃)は、師匠であるパルメニデスが経験的認識を否定したことから、多くの批判を受けることとなったため、その批判にこたえる議論をした。パルメニデスの正しさを論理的に論証するために弁証法(ディアレクティク)を用い、後に弁証法の創始者とみなされるようになった。

ゼノンは、存在の「多」と運動という性質を真実と考えることには矛盾があることを主張した。その証明は大きく3つのものがある。

1. 運動の矛盾(アキレスと亀)
先に出発した亀に俊足のアキレスは永遠に追いつくことができない。なぜなら、亀が到達したA地点にアキレスが到達したときには、亀はすでにその先のB地点にいるのであり、それが永遠に繰り返されるから。

2. 空間の存在の矛盾
存在するものが空間の中にあり空間も存在の一つであるなら、空間も別の何かの中にあることになる。これが永遠に繰り返されることになり不可能である。

3. 多数の存在の矛盾
事物が多数の存在として存在するなら、それは有限であるはずだが、多数のものとして存在するためには区別が必要であり、区別は無限に可能であるため、これが無限に繰り返される。つまり、存在は有限であり無限であることになり矛盾する。

こうしてゼノンは、パルメニデスの主張した万物は生成も運動もしない、不動の存在であり、生成・運動を事物に対してみてしまう人間の経験こそ誤謬であるという説を証明しようとした。

3-4:ヘラクレイトス

ヘラクレイトス(紀元前540年頃-480年頃)は、パルメニデスと対象的な議論をした哲学者であり、独創的だが大衆を軽蔑し民主主義を否定しており「闇の人」「暗い人」と呼ばれた。ヘラクレイトスは、外的な対象からではなく自分の生、心を見つめることによって心理に到達しようとした。

ヘラクレイトスも「多」の先に統一物を見ていたが、唯一不変の統一物を考えたのではなく、多数のものが統一の法則を考えた点が、彼の哲学の特徴である。ヘラクレイトスも、原質を想定したが、その原質は構成要素というよりも、原エネルギー的な意味で「原火」という概念を唱えた。

そして、この原エネルギーから多が展開すると考えたのだが、多として存在する事物は対立することで、互いに必要とし合い、促進しあい、全体を構成し、秩序を作っていると考えた。つまり、世界を統一しているのは不動・不変の存在ではなく、対立と絶えざる変化であると考えたのであった。この点で、パルメニデスと対照的な哲学であることが分かる。それをヘラクレイトスは「戦いは万物の父であり、万物の王である」と言っている。

ヘラクレイトスは、このような弁証法的な万物の法則を「ロゴス」と言った(ロゴスと言う言葉を使ったのはヘラクレイトスがはじめて)。ロゴスとは、万物の中に存在して秩序を与える力で、「理性」である。人間は神的なロゴスを分有しているため、魂を認識することでロゴスという真理を発見することができる。

ヘラクレイトスの哲学の意義は、ギリシア哲学においてはじめて包括的な体形を作ったことであたった。シュテーリヒは『世界の思想史』でこのように説明している。「ヘラクレイトスは、彼の先駆者たちや同時代の人たちのように、質量的な世界とその想像上の原因のみを見ているのではない。彼は同時に人間の魂の深みを洞察した」(前掲書136頁)。

4章:後期自然哲学者

パルメニデス後の哲学者は、生成や運動が存在しないことを示すことが新たな課題となった。彼らは経験的世界を説明しようとしたが、パルメニデス的な生成や運動が存在しないことを前提としなければならなかった。

4-1:エンペドクレス

エンペドクレス(紀元前492年-紀元前432年)はシチリアの都市アクラガスの哲学者、医師、詩人、神学者、政治家である。彼は「折衷学派」と呼ばれ、先行する思想の体系を選び新しい体系を作ろうとした。

彼は、まず万物の根源として「火」「土」「空気」「水」という4つの原質(元素)を上げた。これらは同格であり、生成せず不変不滅であり、これら4つの原質が混ざり合う量が変化することで、万物が成立すると考えた。また、エンペドクレスは、外界のいかなる事物も、人間の中に存在するこれら4つの要素から認識されると考えた。

この運動を引き起こしているのは、「愛」と「憎しみ」という3つの結合する力である。4つの原質は愛によって引き合い、憎しみによって崩れていくと考えた。

4-2:アナクサゴラス

アナクサゴラス(紀元前500年頃-紀元前428年頃)は、小アジアのクラゾメナイというギリシャ植民地の哲学者で、哲学をアテナイにもたらした。

アナクサゴラスの哲学の特徴は、生成、消滅を否定し事物の変化を混合・分離によって説明するだけでなく、さらに事物は質的な変化さえしないと考えた点である。アナクサゴラスは、すべての原質は無限に異なる「種子」あるいは「胚芽」を持っていると考えた。つまり、花、パン、木、肉といった性質が、事物の原質の中に存在しており、事物が表出する際はその中に最も多く含まれる原質(たとえばパン)が現れる。

アナクサゴラスの哲学の意義は、上記の運動の始原を精神(ヌース)に初めて置いた点である。ヌースは理性的で非人格的な哲学的原理であり、ヌースはヌースとしてだけ存在する純粋なもので、他の存在によって規定されることはない。しかし、他の存在を支配することで他の存在に秩序を与え、交わることができる。ヌースは運動の始原であり、最初に衝撃を与えたことで世界に運動を与えた。ヌースが行ったのはこの衝撃の発生だけであり、この運動によって宇宙は創造され秩序が与えられたのであった。

5章:原子論者

原子論とは世界は原始から構成されていると考える試みだが、レウキッポスやデモクリトスという原子論者はパルメニデス的存在論から事物の多性、変化という経験的認識を説明しようとした。

5-1:レウキッポス

レウキッポスはミトレスかトラキアのアブデラの人で、紀元前5世紀中ごろに活躍した哲学者であった。レウキッポスの思想の全体は分からないが、原子論の創始者と考えられており、因果律を最初に言い表した(すべてのものは必然的に生ずる)と言われる。レウキッポスの思想は、弟子のデモクリトスの哲学と明確に区別できず、デモクリトスから知るしかない。

5-2:デモクリトス

デモクリトス(紀元前470年-360年)は、アブデラ出身の哲学者で数学、物理学、天文学、チリ、解剖学、生理学、心理学、医学など多様な学問領域を研究したことが資料から分かっている。

デモクリトスは、パルメニデスが存在と非存在を区別し、非存在・空虚は存在しないと考えたのに対し、非存在の存在も認めたことが特徴である。デモクリトスによると非存在とは空虚な空間のことで、存在とは原子のことである。したがって、世界は原始という存在と空虚な空間である非存在によって成り立つことになる。

デモクリトスの哲学を理解する上では、原子(アトム)をどう考えたのか理解することが重要になる。デモクリトスの言う原子(アトム)はそれ以上に分化できないもので、原子相互の違いは形態、大きさ、空間内での配列(第一次的性質)である。そして、すべての事物は原子からできていて、原子が集合することで事物が生まれ、原子が離散することで事物が消滅する。また、後世になって言われたことだが、原子が直接持っている性質(形態、大きさ、配列など)を第一次的性質、人間の知覚能力によってのみ現れる付加的な性質を第二次的性質、として区別される。

デモクリトスによれば、永遠の過去から原子は無限の空虚な空間の中で運動しており、原子の衝突と反発から旋回運動が起こり、そこから世界が成立した。よって、世界には指導する精神のようなものは存在しないし、偶然にも支配されていない。存在の中にある合法則性によって起こるものである。ここから分かるように、デモクリトスの説は唯物論的・機械論的なもので、パルメニデスやエンペドクレスらのような根源的な精神、神的なものを考えなかった。よって、世界に秩序を与える力を生み出す力に欠けている説であり、これが後にプラトン、アリストテレスらによって批判されることとなった。

6章:ソフィスト

紀元前5世紀後半になると、ギリシア哲学は最盛期を迎えることとなる。それは、ギリシア社会の大変革を背景にしたものだった。このころ、ギリシアはアテナイにおいて民主制が導入され、外国文化との急激な交流が起こり、社会的に不安定であった。そのため、哲学的な反省が徹底され、自然を対象とした自然哲学よりも、人間を対象とした哲学が登場する。さらに、不安定な社会の中で、より実用的な哲学が求められ、また相対主義が跋扈することとなった。また、民主制を導入したアテナイでは公共的弁論の重要度が増した。そんな中で登場したのがソフィストたちであった。

ソフィストとは、そもそも「賢者」という意味であった。しかし、最初のソフィストと言われるプロタゴラスが自らソフィストを名乗ってからは、ソフィストは家庭教師として弁論術を伝えて、裕福な家庭の子を政治的な力を付けさせる人々のことを意味するようにもなった。

ソフィストのような特徴的な人々が生まれた背景には、「直接民主制の成立」と「哲学の体系の多さ」という古代ギリシア特有の理由があった。

ソフィストの職業は、直接民主制が成立したことではじめて成立するものだった。そもそも、ソフィストは、都市から都市へと渡り歩きながら、謝礼を取って様々な技術、技能(特に弁論術)を教授する人々である。裕福な人々がソフィストを雇って子の家庭教師としたのは、直接民主制の社会で権力を握るには、人々を動かす弁論術が必要だからと考えられたからであった。というより、ソフィストたち自身がそのようなことを謳って自分たちを売り込んでいったのだった。このような、哲学に対する一種の実用主義からソフィストが活躍した。

また、ソフィストの特徴は「相対主義」にあり、これは変化の大きな社会や哲学体系の多さから来たものだった。前述のように、紀元前5世紀後半ごろの古代ギリシアは、不安定な社会であり、またここまで解説してきたように様々な哲学体系が存在していた。よって、ソフィストは、客観的認識はそもそも不可能である、人間は世界を主観的にしか認識できないため、客観的な認識など存在しないと主張したのだった。つまり、人それぞれ認識が異なるという相対主義である。代表的なソフィストの1人であるゴルギアスは、何ものも存在しない、存在しても人間は認識できない、認識できてもそれを伝えられない、という徹底的な懐疑主義すら持っていた。こうした相対主義、懐疑主義から、ソフィストたちは弁論によってもっともらしいことを主張し、真理かどうかに関係なく人を動かすことが重要であると考えたのであった。

ソフィストの相対主義は倫理学にも広がり、客観的な正義はないと考えた。そのため、「善」について自分の利益のために、もしくは自分の快楽のために、もしくは自分の権力のために善いことは、それゆえに「善いこと」なのであると考えた。

一見、客観的な真理を追究する哲学にとって後退にも見えるソフィストの思想は、ギリシアの思想を進めた側面もあった。それは、自然から人間へ視点を向けたこと、思惟そのものを思惟の対象として限界を認めたこと、倫理学における正義、善といった価値基準もはじめて哲学の対象としたこと、神の擬人観を脱却、解体して一神教へ進む準備をしたこと、などである。

参考文献

シュテーリヒ『世界の思想史』白水社

K.リーゼンフーバー『西洋古代・中世哲学史』平凡社

伊藤邦武『物語 哲学の歴史』中公新書

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