古代オリエント(1)メソポタミア
オリエントとは、ヨーロッパから見て「東」「太陽の昇る所」を意味する言葉である。
地理的には現在に西アジア、中東であり、現在ではトルコ、シリア、イラン、イラクなどが存在する地域である。地中海や黒海、カスピ海、ペルシア湾などの水域に挟まれた地域であり、ティグリス・ユーフラテス川という巨大な河川の存在が文明が勃興する重要な要素の一つとなった。
古代のオリエント世界では、大きく以下の5つの文明が勃興した。
- メソポタミア
- エジプト
- シリア、パレスティナ
- 小アジア
- イラン
この中でも特に重要なメソポタミア文明について、これから解説する。
目次
1章:灌漑農業と文明の誕生
巨大な文明社会が生まれる前は、人々は農業を行っても小家族が個々に存在し生活を営んでいたと考えられる。家族は日常生活を送る上では、家族間で協働したり権力者に従ったりする必要はなかったと考えられる。しかし、このような社会は灌漑農業の発達によって変化していったのであった。
オリエントの地域は、平地が多く砂漠・乾燥地帯であった。そのため、遊牧と天水による乾地農業が行われた。また、小河川流域やオアシスといった水資源の豊富な地域では、小規模な灌漑農業も行われた。さらに、ティグリス・ユーフラテス川やナイル川の流域では、季節ごとに起こる氾濫を用いて灌漑を行う手法も発達していった。毎年、季節になると氾濫によって泥が運ばれ、その上で農業を行うようになったのであった。
しかし、このような氾濫を用いることができるのは、ティグリス・ユーフラテス川の下流の沖積地帯であり、夏季に降雨の少ない南の地方では、川の水を運河によって運び、農業に用いる必要があった。そのためには、膨大な数の労働力とそれを管理できる権力者の存在が必要である。つまり、灌漑農業によって農業生産力を増大させる必要性から、巨大な共同体と統治する権力者という文明を発達させる要素が発達したのであった。こうした理由から、巨大な文明は巨大な河川の流域で発達していったのであり、メソポタミア文明はティグリス川(北)とユーフラテス川(南)にはさまれた川の間の地域で生まれたのである。
2章:シュメール人
ティグリス・ユーフラテス川の間に最初に文明を築き始めたのがシュメール人である。シュメール人は民族系統不明である。シュメール人は、紀元前2700年頃までにティグリス・ユーフラテス川の河口付近に都市を形成した。この地域は、それ以前から神殿を中心とした大きな村落が成立し、銅、青銅器が普及しており、生産力の増大に伴って直接農業労働に携わらない神官、戦士、職人、商人などが生まれていた。そして、灌漑を行うために神官が権力を持って共同体を管理するようになり、灌漑農業による生産力増大でさらに人口が増える、といった形でメソポタミア文明が成立していったのであった。
2-1:シュメールの国家・政治
支配階級がどのように生まれたのかは定かではないが、農民たちは一定期間は神のために働くこと(灌漑の工事など)を行うことが義務付けられ、その神の意思を伝えるのが神官という支配階級であった。こうした統治が行われた都市国家は、ウル、ウルク、ラガシュなどである。また、強い権力と富を持つ神官らのために、専従の職人が生まれ職業が分化されていった。このように、神の名のもとに王が神官としての役割を持ち、統治することを神権政治と言う。
ウル、ウルク、ラガシュなどの都市は城壁で囲まれ、中心部にはジッグラト(神殿)が建設され、各都市はこの神殿の守護神によって支配されていると考えられた。マクニール『世界史』(中公文庫)によると、シュメールの諸都市の中でもニップールの町が優位に立っており、あらゆる地方から神官が集合し会議によって都市間の争いの解決や情報交換、商取引が行われたと考えられる。しかし、灌漑用水は諸都市の生命線であったため、水をめぐる争いは神官会議でも解決できないことが増えていき、都市間の戦争も繰り返された。よって、異民族(蛮族)の侵入に対する防御がおろそかになったという。
都市間の争いや蛮族に対する防衛のため、シュメール人の諸都市は軍事組織を発達させた。神官自ら軍事的指導者になるか、もしくは別の者を代理人として軍事的指導者に任命した。また、シュメールの諸都市は帝国の君主が支配し、君主は身近に大軍を置き、地方の統治のために地方を移り歩いたという。しかし、帝国の支配に反発する共同体が出る可能性もあり、それを防ぐには大軍を分散して地方に配置し、その地を統治する必要があったが、そうすると君主が戦場でいざと言う時に大軍を率いて優位に立つ、ということができなくなる矛盾を抱えていた。こうした矛盾があったためシュメール人の国家は争いが絶えなかったのであった。
2-2:神官が持つ力
では、なぜ神官はこのように力を持つことができたのか。神官が権力を持つ、つまり多数の他者を命令によって動かすことができたのは、暦を読むことができたこと、宗教的教義を発達させたこと、という2つの理由があったと考えられている。
2-2-1:暦を読む力
灌漑農業によって農業生産力を高め、社会を維持した古代オリエント社会において、農耕のために1年の季節のリズムを把握することは何よりも大事だった。季節のリズムが分からなければ、いつどのような作業を行うべきなのか分からず、農耕は当てずっぽうのものになってしまうからである。
しかし、一部の人々が、太陽や月という天体の動きから正確な暦を作り保つことができるようになった。いつどのような季節が来るのか、正確に予言できることは民衆からすれば神のような力であり、神の声を聞けるという神官が特別な地位(=権力者)に立つことができたのであった。
暦にははじめは純粋な太陰暦を使用し、その後うるう年を加えてより正確に暦が分かるようにした。また、六十進法、1週間を7日とする、といった発明もした。つまり、メソポタミアの時代にできた暦法は現代にも利用される、人類社会の大きなベースになったのである。
2-2-2:宗教教義の体系
神官は、神の声を聞くだけでなくなだめるすべを持っていて、どのような儀式を行えば神が鎮まるか、それはなぜなのか、ということを説明する宗教体系を作った。この原始的な宗教教義の体系が、さまざまな民族を信仰の力で統治する力になっていたのだ。
そもそも、人類は文字のない先史時代から、共同体ごとに何らかの信仰を持っていたことが考古学的発掘から分かっている。世界を何らかの方法で説明し、予測しようとしたときに、学問を持たない古代の人々は想像によって説明しようとし、それが原始的な信仰になったのである。このような原始的な信仰とメソポタミアの信仰が異なるのは、メソポタミアの場合はある程度の教義の体系化が見られたという点である。
メソポタミアの信仰は、まず自然の力は人格にされており、さまざまな力を持つ神存在し、その神たちの間にも序列・秩序がある。そして神は神殿の中に住んでおり、神官はその神から言葉を聞いて予言したり、儀式を行って怒りを鎮めたりする役割を持った。また、神は都市ごとに存在し、その都市はその神によって支配されていると考えられたが、諸都市を支配する帝国的な国家が作られると、その中心となる都市の神が信仰の頂点に立った。そして、異民族の信仰との整合性のある教義体系が磨き上げられていった。
信仰は共同体、都市ごとに異なるものだったため、帝国的な国家が作られるのにつれて習合されて教義の体系化が進んだのである。そして、体系化された教義を作り、それを伝えることが神官の役割であり、神官の支配の力にもなっていたのである。
(参考:『古代オリエントの宗教』中公新書)
2-3:シュメールの発明:文字
シュメール人は歴史上初めて大きな文明を作り、また様々な発明を行った。
メソポタミアのシュメール人に起源を持つ神官たちは、文字を発明した。これを「楔形文字(せっけいもじ・くさびがたもじ)」と言う。シュメール人の神官たちは、神殿の倉庫に出し入れする記録に文字を使いはじめ、やがて日常会話の音を文字によって表せるようになった。そして、紀元前3000年以後は、完全な文章を書けるようになったという。こうして、人類は起こった出来事を記録することで、過去を正確に知ることができるようになった。
シュメール人の国家は灌漑農業だけでなく交易によっても発達したものの、周辺の民族によって侵略されその後アッカド人がこの土地の支配者になる。
3章:アッカド人
前述のように、シュメール人の国家は都市間の争いが絶えず、そのために異民族からの侵入に防御することが難しいという問題を抱えていた。そのため、山岳民や遊牧民の侵入によって弱体化し、セム系(セム語派)のアッカド人によって支配される。
アッカド人は、サルゴン1世の時代に、はじめて統一国家を形成した。シュメール人の国家が都市国家だったのに対し、アッカド人は諸国家を統一する「面」の国家をはじめて建国したのであった。これが紀元前2400年頃である。アッカドの支配後も蛮族の侵入に対する防衛は問題であり、政治的な混乱は続いたようだ。
サルゴン1世の死後は王朝は急速に衰え、南部のシュメールの都市国家が再度栄えて独立していった。紀元前2111年頃、ウルナンム王がメソポタミアとエラムを併せてウル第三王朝を設立する。複数の民族を統治するために、ウル・ナンム法典が編纂された。これ以降、メソポタミアでは法典編纂の伝統が受け継がれることになる(『地域からの世界史-西アジア-(上)』朝日新聞社、34-35頁)
紀元前2003年頃、ウル第三王朝は遊牧民らによって滅ぼされ、その後、もともと遊牧民であったセム系アムル人がメソポタミアを支配し、古代バビロニア王国が起こる。
4章:アムル人・古バビロニア王国
セム系のアムル人はシリアの砂漠からやってきた遊牧民であり、アッカドの帝国が衰退したころに侵入し、紀元前19世紀にバビロンを都とする古バビロニア王国(バビロン第1王朝)を建国した。
そして、第6代目の王であるハンムラビ王の時代(紀元前18世紀)に、バビロニアは全メソポタミアを支配して統一的な国家を樹立した。
マクニール『世界史』によると、アッカド人の支配以降からバビロニアの時代の政治的混乱期に2つの大きな出来事がおこったという。
1つは、シュメル語が日常語から神聖な言葉になっていき、それに対してアッカド語が文字表現を獲得したことである。
もう1つは、アッカド人による帝国の建設と、それに伴う3つの手段(現在にも共通する)の発達である。それは「官僚制」「法」「市場」であるという。前述のように、地理的に広い範囲を帝国的に支配するためには、君主が移動しながら軍事力によって支配を維持することは非効率的で、安定した秩序を作りづらい。そのため、帝国的な統治を行うために、単なる軍事力というハードパワーだけでなく、ソフトパワーによる統治技術が工夫された。それが法典や官僚制などであった。つまり、それぞれの地方に官僚を置いて地方を管理させること、また、異民族同士が一定のルールで信頼の上で行動し取引できるように、統一した法を作ることなどである。
こうした作られたのが、ハンムラビによって作られたハンムラビ法典である。これは、シュメール法を継承して作られたもので、「復讐法(同害復讐)」「 身分法:低い身分の人への罪は軽い」といった特徴を持っていた。
ただ、この時代の人々がみな自由に取引を行ったわけではない。この時代、支配階級を除く多くの人々は貧しい生活をしており、納税に苦しんでいたと考えられる。そのため、自由に取引したのは支配階級の人々同士であった。
こうした制度を発達させることで、国家が一人の君主によって統一されていることを、地方の人々にまで浸透させようとしたのであった。
さらに、ハンムラビ王は権力を強めるために、シュメール・アッカド人の信仰を再構成したようだ(マクニール前掲書90頁)。『創造叙事詩』ではシュメールの神の頂点とバビロンの守護神マルドゥックに置き換えたのである。これもソフトパワーによる統治の1つの手段であった。
5章:ヒッタイト王国
紀元前2000年紀の初頭には、インド=ヨーロッパ系民族(南ロシアから発生したと考えられる民族で、英語やロシア語、フランス語などのヨーロッパ系の言語の多くの源となった)が他の民族も巻き込みつつ、オリエントに侵入した。
インド=ヨーロッパ系民族は、オリエント世界にはいなかった馬にのり、戦車にのって諸民族を支配し国家を打ち立てていった。彼らは戦車と鉄製武器を用いて、軍事的に強大になることに成功。ヒッタイト王国は、その後多くの国家と戦い発展する。
- 紀元前19世紀ごろ:小アジアにヒッタイト王国を打ち立てる
- 紀元前17世紀ごろ:強力な帝国に成長
- 紀元前16世紀:古バビロニア王国(バビロン第一王朝)を滅ぼす
- 紀元前14世紀:最盛期であり、ミタンニ・エジプトと戦う
- 紀元前13世紀初頭:北進してきたエジプト新王国とシリアを巡って戦う(カデシュの戦い)
ヒッタイト王国を打ち立てたインド=ヨーロッパ系民族によって、オリエント世界に製鉄技術が普及し、古代オリエント世界がひとつの世界として形成されるきっかけにもなった。
ヒッタイトによって古バビロニアが滅んだ後、別のインド=ヨーロッパ系民族であるカッシート人がメソポタミアに侵入し、バビロン第三王朝を打ち立てて支配した。彼らは、その後400年ほども南メソポタミアを支配した。しかし、ヒッタイトは海の民によって滅亡する。
一方、メソポタミアの北部から北シリアにかけては、別のインド=ヨーロッパ系民族ミタンニ人によって打ち立てられたミタンニ王国により、紀元前1500年ごろから紀元前14世紀なかばまで支配された。この地にいたフルリ人はシリアに移動し、一部はエジプトにまで移動し、紀元前1650年頃、第十五王朝(ヒクソス王朝)を打ち立てた。ヒクソス王朝によって、エジプトとメソポタミアは活発に交流するようになる。
まとめると、古代オリエント世界は、まずはシュメール人による都市国家、次にアッカド人による帝国建設、それからアッカド人の支配にかわって遊牧民アムル人が古バビロニアを打ち立てる。この頃、諸国家を統一するために「法典」「官僚制」「市場」が形成された。さらに古バビロニアは、インド=ヨーロッパ系民族の侵入によって滅ぼされ、ヒッタイトがメソポタミアを支配する。メソポタミア南部はカッシート人が、メソポタミア北部はミタンニ王国によって統治された。
この時代のオリエント世界は、エジプト文明とも関わった。
参考文献
木下康彦、木村靖二、吉田寅(編)『詳説世界史』山川出版社
『地域からの世界史(7)西アジア』(上)朝日新聞社
マクニール『世界史』(上)中公文庫
小林登志子『古代オリエントの神々-文明の興亡と宗教の起源-』中公新書